織都・桐生の織物
織物のまち 桐生
群馬県桐生市は、古くから織物のまちとして発展してきました。
その歴史は1300年前、奈良時代の初めに朝廷へ「黄あしぎぬ」という絹織物を献上したという記録までさかのぼります。
江戸時代には「西の西陣、東の桐生」とうたわれるようになり、日本を代表する世界でも指折りの織物の産地として発展してきました。
市内には、産業の歴史を今に伝える街並みが色濃く残り、日本遺産の構成文化財やのこぎり屋根の織物工場、土蔵造りの店舗など、近代遺産の宝庫となっています。
歴史に残る桐生織
桐生織の始まりについて残された伝説に次のようなものがあります。
桐生市のある地域のことを、上野国山田郡仁田山郷と呼んでいた頃のこと。
この上野国山田郡から朝廷に仕えていた一人の男が、養蚕や機織りに優れる官女「白滝姫」(しらたきひめ)に恋をしました。2人は結ばれると男の故郷へ帰り暮らすことになりました。白滝姫は桐生の地に住むと、里人々へ技術を伝えていったといい、それが桐生織となったという伝えです。
鎌倉時代には、後醍醐天皇の命を受けて、鎌倉幕府を滅ぼすための兵を挙げた武将 新田義貞は、桐生で織った絹をつかって幟(のぼり)にしたとされています。これらはのちに軍旗「中黒古旗」として復元され、新田神社に奉納されました。
また徳川家の祖先と言われる新田義貞の由来をうけて、関ヶ原の戦いにおいて徳川家康の要請に応じ2410疋もの旗絹を献上、勝利に貢献したという話も残されています。
現代も紡がれる桐生と織物の物語
柔らかな感触と光沢がある桐生織は、高級な着物・帯から仕立物、和装小物、日用品といった服飾品まで広く利用され、国内はもとより、広く海外にまで愛用され好評を得ています。
繊維の総合産地としての伝統文化は産業だけでなく、「ものづくり」文化として桐生に根付き近年ではクリエーターの移住が増えるなど新たな進化をみせてきました。
時代にあった製品の発展に加えて、着物を着た観光体験や機織り体験など、桐生市は様々な方向から織物とその文化にふれることができる街として今も注目されています。